スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

人を嫌ってしまうとき、それは自分がまだまだなのかもしれない。

どんな人でも、

この人嫌いだわ、この人苦手だわ

ということはあると思う。

 

明確に相手に対して敵意を表さなくても、
遠くにいて、あ、こっち来るなと思ったら鉢合わせないように避けたり、

近づいてくるのがわかったら目をそらしたり、色々やってしまうだろう。
(単純にコミュ障で誰とも目を合わさないだけということかもしれないが)

 

で、なんで嫌いになったり苦手になったりするのかなぁと考えてみた結果、

思うところが2つ浮かんだ。

 

一つ目は、

その人が自分の心地よい領域を揺らがしてくるからだ。

例えば、

自分はおっとりした雰囲気が好きだが、その人は激しい雰囲気が好きだから苦手だ、とか

自分は仕事に厳しいが、その人はヘラヘラゆる~い感じを好むから、あいつ甘すぎる!あいつ嫌い!

となったり。


これはまあある意味当然に嫌いになったりするだろう。


で、2つ目としては、
その人が自分自身の嫌いな側面を持ち合わせていたり体現したりしているケースが考えられると思う。

例えば、

自分のシャイなところが嫌いと思っているときに、すごくモジモジしてる人がいたらイライラしたり、

場をわきまえずテンション高くなっちゃう自分が嫌いだなと思っているなか、空気読めずに振る舞ってる人がいたら嫌な気持ちになったり。

 

自分自身の嫌いな側面をその人を通じて改めて認識させられ不快に思うため、その人を嫌いになる、なんてことも考えられるだろう。


このように、
上記2つが、人を嫌いになる原因かなーと思ったのだが、

 

これってやっぱり究極的には自分自身に非があると言わざるを得ない。

 

自分の心地よい領域を他人によって簡単に左右されてしまうなら、

自分の心地よい領域に対する自信や大切にしようとするパッション、

はたまた他人の価値観をちゃんと理解しようとする器のでかさみたいなものが、

そもそも足りていないだけなのかもしれない。

 

また、自分自身の嫌いな側面を他人に垣間見てイライラするっていうのは、

自分とちゃんと向き合って、嫌なところを直したり逆にそんなのも含めた自分自身を認めてあげれたりすることができないでいるだけ、

なのかもしれない。

 

だから、

この人嫌いだな、苦手だな、と思ったら、

まだまだ自分は自分に向き合うことができていないんだな

と反省したいと思います。

 

逆に言うと、自分に向き合い、自分を知り、自分を好きになると、

人を嫌いになることも少なくなるのかもしれない。

 

今回はこの辺で。

 

ありがとうございました。

 

 

 

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