スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

人は「当たり前」で傷つけ傷ついているのかもしれない。

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「今まで仲良かったあの人、なんか最近冷たい気がする・・・」

 

「この人とはもう距離を置きたいな・・・」

 

 

このように思ってしまうことは、誰にもあるだろうと思う。

 

そう思ってしまうときは、

 

もしかしたら「当たり前」で傷つけ、また、傷ついているのかもしれない。

 

 

人は、誰かと接しコミュニケーションをとるとき、

何がどうしたって自分の「当たり前」を基礎にしてしまう。

 

それは、

家族構成だったり、

生活スタイルだったり、

学歴だったり、

職業・会社だったり、

大切にしている価値観だったり

と、色々な「当たり前」である。

 

 

ここで考えたいのは、

自分にとって「当たり前」のものが、

他人にとっては全然「当たり前」でなかったり、

 

逆に他人にとっての「当たり前」が、

自分にはない「当たり前」だったりする、

 

ということだ。

 

 

例えば、大げさなことを言えば、

結婚して嫁や旦那、子どもが家にいるのが当たり前の人は、

彼らの話を何のためらいもなく話すが、

結婚してない、子どもがいない人には、

そんなのは、遠い将来か夢の中の話だ。

 

有名大学出身の人は、

当たり前のように大企業に就職し、そこで高給を稼ぐが、

高卒でフリーターをやっているような人は、

大企業に入って稼げるような手取額は一生稼げないかもしれない。

 

 

このように、その程度には違いはあれど、

ある人の「当たり前」は、

別のある人にとっては「当たり前」どころか夢物語になりうる。

 

で、

他人の「当たり前」が自分にとっては全然「当たり前」でないことを認識し、

その他人の「当たり前」が望んでいるもの、欲しいものであるとき、

人はけっこう傷ついているのではないだろうか。

 

 

例えば、

幸せそうにハネムーンの話をする新婚の女性の隣では、

結婚したくて婚活しているがうまくいかず、

もう仕事と結婚しようかと悩んでいる女性が、

秘かに傷ついているかもしれない。

 

中学の同窓会で仕事の話になり、

大企業で働いている自分を誇りに思って熱弁している人の横で、

町の工場で誰でもできそうな単純作業を安月給でやるしか稼ぐ道のない人が、

なんとも言い表せない虚無感を抱き、傷ついているかもしれない。

 

ベンチャーで自分が世の中を変えている!貢献している!感を常に感じて働いている話を目をキラキラさせてする人の横では、

大企業で社内政治や「あの人とあの人が仲悪い、うまくいかない」などのしょうもない人間関係のマネジメントなどに翻弄されてやりがいは全然ないが、家族を持っている以上今更高給を捨てることができない

という状況の人が、

もしかしたら傷ついているかもしれない。

 

 

他人と比較するのはよくない・・・だけど・・・

といって、傷ついている人はたくさんいるだろう。

 

そして、そうやって傷つきつつ、

今度は逆に「当たり前」を振りかざして、

全く無自覚に誰かを傷つける側になっている人もたくさんいるんだろう。

 

 

世の中、本当に生きづらい。。。

 

 

じゃあそんな生きづらい世の中でどうしたらいいのか。

 

それは、

「当たり前」でみんな傷つけあっている

という自覚を持つこと

これしかないのではないだろうか。

 

 

「当たり前」はその人の基礎である以上、

それを出さないで他人とコミュニケーションするなんて無理だ。

 

ただ、

その「当たり前」が「当たり前」じゃない人もいて、

お互い傷つけ傷つきを繰り返しているのだ、

と頭でわかれば、

少なくとも自分が傷ついたときに、

その人をひどく恨んだり嫌ったりすることはなくなるだろう。

また、もしかしたら、

自分が他人を傷つける頻度を減らすことができるかもしれない。

 

 

要するに、

お互い様なんだから

色々許そうぜ

ということが言いたい

というのが今日のお話という形で、

今日はこの辺で。

 

ありがとうございました。

 

 

 

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