スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

執着を嫌っている人も、もしかしたら執着しているかもしれない。

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人は執着を嫌います。

 

例えば、占いなんかそうです。

多くの人は占いを以下のように捉えており、あんまりよい印象を抱きません。

 

「宗教の勧誘とかあんじゃね?」

「変なもの買わされるんじゃね?」

「洗脳されんじゃね?」

とか、色々疑念を抱いていて、怪しがります。気味悪がります。

 

という僕は、占いにたまに行くのですが笑、

 

「その会社にいたら体を壊して死ぬ。早くやめなさい」

 

「結婚の歳が悪すぎた。あなたと奥さんの化身となる人形を用意し、それに髪を詰めて私のところにもう一度来なさい」

 

「あなたの弟と今の彼女は相性が最悪。縁切りで有名な○○寺にいきなさい。」

 

などなど、言ってくる占い師もたまにいます。

要するにこれはもう強迫ですね。

 

こうしないと不幸になる、といってその対策に固執させます。

このようなものに騙され、固執し、執着することは、

生き方の自由度を大幅に奪います。不幸になります。

 

実際にこのようにして不幸になる人を何らかの形で知ることで、

人は占いを嫌います。

執着してしまう人を気味悪がります。

 

でも、本当にじゃあみんな執着してないでしょうか。

 

周りからの評価、給与、プライド、

などなど、

こういったものに囚われながら仕事をしていたり、そもそもその仕事を選んだりしている人も、

占いにはまりこんでしまう人と大差ない、なんてことも、もしかしたらあるかもしれないです。

 

なので、

自分は対象物は何であれ、執着してしまっていることを自己認識したら、

本当にそれでいいの?

と立ち止まって考えるようにしています。

 

何かに執着したり囚われたりすると、

やはり負のエネルギーというか、

負の感情が生まれやすいと思うんですよね。

 

 

例えば、

成長に囚われすぎて、

理想と現実のギャップに苦しんだり焦ったりして絶望感を感じて、なぜかモチベーションが落ちてしまう、

なんて事も普通に起こりそうです。

 

仕事に対するワクワク感が、

いつの間にか高い目標達成や成長への義務感というか、強迫観念に変わっていた、

という事態に気づいたら陥っていた、みたいなこともあるかもしれません。

 

ここのバランスはなかなか難しいです。

なぜなら一定ストレッチしないと満足できる結果を得られないこともあるからです。

 

でも、まあ一旦、

少しでも「囚われている」ということを感じたら、

一度立ち止まって「囚われている感」をしっかり味わってみる(=囚われているかもしれない自分を客観的にみてみる)と、

いいかもしれません。

 

特に仕事では、

常に客観的な視点を持てた方が、

自分の気持ちや周囲の環境がポジティブだろうがネガティブだろうが、

自分や組織をプラスの方向に導くことができるのではないでしょうか。

 

まあ、、それができたらみんな苦労しないんですが。。。

 

というわけで、

今回は執着についてでした。

 

ありがとうございました。

 

 

 

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