スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

「使えない」と言ってる人は、人間的に使えないのかもしれない。

やっぱり仕事をしてると、

どうしてもうまく仕事ができないことがある。

考えが浅かったり、うっかり忘れたりする。

人間みんなそんなことがあるものだと思う。

 

新人時代からずっーと仕事ができてきた人なんてたぶんいないだろう。

そんなこんなで、

仕事ができないことが自分だけでなく周りでも良く起きる(それは社内の人だけでなく社外の人も含めてだ。)

そんなとき、たまにこんな言葉が聞こえてくる。

 

「使えねえ…」


使えねえ。

この言葉は本当にすごい。

仕事ができるか、
しかもとある1つの場面だったり、
1つの側面だったりだけを切り取って、
まるでその人自体の価値をないものと評価するような言葉だ。

 

またこれは人を使う側という目線、
かなり上からな目線で物を言っていて、
さも自分は上、自分は完璧なんだ、と言わんばかりである。
これほどエゴであることを表現する言葉もないだろう。

 

だが、

この「使えない」という言葉は、世の中に溢れているという残念な現実がある。


「使えない」

 

僕はこの言葉を聞く度、

本当に心臓がズキーと痛くなる。

 

「使えない」を言っても許されるほど完璧な人はたぶんいないし、

むしろ完璧に近い人は絶対に「使えない」を発しない。

 

ちょっと自分ができるからといって、

こんなひどい言葉を発するようにはなりたくない。


そもそもだが、

なんで仕事してんだっけ?

と考えると、

年収上げる、地位を得る、名誉を得る、能力をアップさせる、能力を誇示する

なんてのは最終目的でもなんでもなく、

究極的にいってしまえばどーでもいいことだ。
(すいません、どうでもよくはないです。お金欲しいです。成長して優秀と思われたいです。。)

 

本当の目的は、こーゆーひどい言葉を発しないことも含めて、

人間性を磨くこと

にあると僕は信じている。

(だから色々辛いけど働いてる。この目的がなかったらとっくに仕事なんて辞めている。)

 

だから自分は、
「使えねえ」(というひどい言葉を言ってしまう)系人材にはなりたくないな、

と思います。

 

今回はこんな感じで。

 

どうもありがとうございました。

 

 

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