コミュ障が生き残るためには「コミュニケーション」をやめればいいのかもしれない。
『求めるのは、「コミュニケーション」能力の高い人材です。』
『仕事で一番大事なのは「コミュニケーション」だよ』
など、
この厳しいビジネス現代社会は、
コミュニケーションが大切であると言います。
昔から飲みニケーションなんてのは良く言われています。
また、僕はベンチャー業界で働いていますが、
自社ももちろんですが、同じ業界の他社も
『「コミュニケーション」の活性化』
を目的として、
サークル活動、委員会活動、月1の全社懇親会、部署を超えたランチやディナー
など、
昔の飲みニケーションのような強制感を排除した形で、
様々な斬新な施策を導入しています。
このように、
プレッシャーのない、フラットな「コミュニケーション」のための制度を導入する企業は、本当に魅力的だと思います。良い会社だと思います。おすすめです。
一方、そのように、新興企業において
『「コミュニケーション」の活性化を目的として、ユニークな施策を実施しています!』
と謳っているような記事を拝見すると、
僕は自分を否定されたような、心臓がキューとなるような、
そんな印象を受けて非常に辛いです。
というのも、
それだけ創意工夫をして「コミュニケーション」の活性化を図るということは、
『「コミュニケーション」がめちゃくちゃ重要だと思っている』
↓
『「コミュニケーション」をしっかりできない人材は不要だと思ってます。』
と主張しているように感じ、
「コミュニケーション」が苦手な僕のようなコミュ障を否定されているような気がするからです。
僕のようなコミュ障はたぶん意外といて、
そのような企画に参加するのがとにかく辛い、もうなぜかわからないが辛い、
ということがあると思います。
そのような人は、この厳しい「コミュニケーション」重視社会で、
どのように生きていけば良いのでしょうか。
で、ずーと考えていたのですが、
そもそも、コミュニケーションの意味ってなんだろう、、、
とぐぐってみました。
すると、
グーグル先生は、
コミュニケーション
気持・意見などを、言葉などを通じて相手に伝えること。通じ合い。
▷ communication
と教えてくれました。
これを見て、僕は心が軽くなりました。
あ、コミュニケーションって僕の苦手な「コミュニケーション」だけではないのかもしれないな、と気づいたからです。
気持・意見を言葉を通じて相手に伝えることは、
飲み会やイベントに参加して、皆でウェイウェイする「コミュニケーション」だけではなく、
メールだったり、チャットだったり、手紙だったり、SNSだったり、このようなブログだったり、
必ずしも対面だったり大勢だったりしなくてもいいんだ、
と思えたからです。
コミュ障の人でも、
対面でない、または大勢でない、
電子的な方法だったり、間接的な方法であれば、
コミュニケーションが取れるかもしれません。
良く想定されている「コミュニケーション」は難しいけど、
それ以外のコミュニケーションだったら、
自分の考えや思いを形に残して、他者に伝達することができるかもしれません。
コミュ障でもコミュニケーションができるようになるかもしれないです!
考えてみれば、僕も社内の日報やこのブログを書いて、
自分の思いや考えを誰かに伝えるようになってから、
今までそんなに関係のなかった人が声をかけてくれたり、
「日報やブログで気づきを得たり前向きになれたりしてます!」と嬉しいメッセージをくれたり、
実際に会って話したりする中で、将来やりたいことでめちゃくちゃ盛り上がったりして、
すごく幸福度の高い時間を過ごせるようになった気がします。
※ちょっとした批判とかもたまにあって反省したりして辛いんですけどね・・・
コミュ障な人は、
変にパーティーや飲み会的な「コミュニケーション」への苦手意識ばかりに心を奪われるのをやめればいいかもしれないです、
そして、
「それは苦手なんだから、自分ができるコミュニケーションを考えよう!」
と、前向きに意見や気持ちを伝達する手段を模索することで、
より人生が豊かになるのかもしれないですね、
そんなお話でした。
今回はこの辺で。
ありがとうございました。
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