スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

感受性を生かすためには想像力が必要かもしれない。

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感受性の高い人ってどの会社にも組織にも一定いる。

 

僕もどっちかというとそうかなと思う。

 

 

例えば、

小2のとき、

帰りの会で担任の先生が、みんなの前でクラスメートを説教するという場面があった。

 

そのとき、僕は皆の前で怒られる友達、それを黙って聞くクラスメイト、

などの教室全体の雰囲気に過度に反応してしまい、

頭がめちゃくちゃ痛くなり、号泣してしまった。

 

 

大人になってからもそれは変わらない。

 

自分とは直接関係ないチームの仕事でミスが発覚し、

担当者が上司や外部の人に怒られていたり、

その後の対応に追われていたりして、

オフィスがキリキリ・バタバタしていると、

 

さすがに今は号泣はしないが笑、

帰ってからもそのことを思い出して寝れなくなることがある。

 

このように感受性が強いエピソードを語ると、

 

「優しいんだね!」

 

と思う人が多いと思う。

 

確かに優しいかもしれない。

ただ、それが具体的に何かバリューになっている、

例えば、思いやりのある言動が取れている

のかというと、そうでもないように思う。

 

そう、そんなに思いやりをもって行動できているわけではない。

 

なぜなら、

思ったことを口走ってしまったり、文章におこしてしまったりした結果、

「これってもしかしたら傷つけてしまったのではないか」

「失礼だったのではないか」

「批判しただけだったのではないか」

反省することが多いからだ。

 

で、意外とこのように、

感受性が強かったり、同情しやすかったり、優しかったりするのに、

思いやりのある言動を取れきれない人って一定いる

のではないかと思う。

 

そういう人に足りないのは、たぶん想像力だ。

 

せっかく感受性という才能があるのに、

想像力や先を読む力がないゆえに、

 

「こうしたら相手がこう思うだろう」

 

「こう言ったら相手は良く思わないだろう」

 

というのをその場で想像できず、

「思いやり」というバリューを発揮できずに終わるのだ。

 

 (※ちなみに、このタイプの人間は、あとで

人様に迷惑をかけた・・・怒らせただろう・・・

という事に気づいたときに、

持前の感受性をフル発揮し、当事者の気持ちに共感して、めちゃくちゃへこむので、

けっこう辛い。。笑)

 

 

では、どうすれば想像力を手に入れられるのか。

想像力を手に入れて、感受性の高さを生かすことができるのだろうか。

 

と、考えた。

 

で、その場で想像するように気を付ける

ということを意識すればいいのだろうが、

それができないから困っているわけなので、、

 

だったら、まず過去に対して

論理思考をするという習慣を身につければいいかもしれない。

 

論理思考というと、

感覚人間には難しいし、

そんな人には実生活レベルで実践困難なようにも思うが、

 

ただただ、なぜ?だからどうなる?なにそれ?

普段の出来事に対して突っ込みを入れればよいのだ。

 

僕の場合は、

毎日帰るときに、一日を振り返り、

印象に残っている何かに突っ込みを入れるようにしている。

 

感受性が強い人は、

たぶん多くが感情型人間であり、

論理的に考える、

というのは苦手だ。

 

そういう人は、

まずは日々の(もう起きてしまった事に対しての)論理思考を習慣化して、

少しでも考えられるようになれば、

その場で(何が起きそうかという事を)想像する、ということも少しずつできるようになってきて、

持前の感受性を生かして、社会に対して、例えば「思いやり」といった価値を残せるようになるのかもしれないですね。

 

今日はこの辺で。

 

ありがとうございました。

 

 

 

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