スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

成長すべきか否かは「甘えの自覚」があるか否かで判断すればよいのかもしれない。

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「人生の目的は、成長にある」

 

「チャレンジして成長したい人と一緒に働きたいですね」

 

成長って本当に必要?」

 

など、人生において、「成長」について考えさせられる場面はいやというほどたくさんある。

 

そもそも成長の定義によっても、考え方や結論がかなり左右されそうだが、

ここではシンプルに

「成長=できないことができるようになること

として、考えていきたい。

 

で、成長を追い求めて生きていくと、必ずある壁にぶつかる。

それは

逃げたい欲求

だ。

 

成長とは、

できないことを求められる環境に身を置いて、できるようになること

であるため、けっこう辛い。

 

そんなときに、

「やっぱり違う」

「俺これやりたくないかも」

「逃げたい」

という思いは、常に付き纏ってくる。

 

で、世間一般では、

それに打ち勝って成長しろ!

と言ってくるのだが、

僕の所感はちょっと違う。

 

僕が、実際働いていて気づいたのは、

向き合うべきものと向き合う必要がないものが、

その当事者や環境によって変わるということだ。

 

成長すべきなのか、それとも完全に逃げていいのか、

という2軸があり、

それを判断する必要がある。

 

そんなとき、それをどう振り分ければいいのか考えたのだが、

甘えの自覚」があるか否かで決めればいいのかもしれない、

と思った。

 

自分に「自分、甘えているな、、」という思いがあるときは、

「本来の自分ならできるはず」

「少なくとも、潜在能力的にはできるはず」

「そして、それをできるようになりたいはず」

と、秘めたる自己のパワーとその方向性を信じているときのはずだ。

 

だから、このときは辛くても向き合って、成長できるようチャレンジすればいいと思う。

(向き合うと決めたなら、手法はどうであれ、最後まで向き合う。

前回の記事で書いたように「ちょい逃げする」などの手法で、

辛さをうまく切り抜けた上で成長する、というのも全然ありだ。)

<関連記事>

kamoshirenaidesu.hatenablog.com

 

 

逆に、甘えの自覚がないときは、

それはもしかしたら完全撤退してもいい案件かもしれない。

 

なぜなら、甘えの自覚がないということは、

それをできるようになれる!そして、なりたい!

というパワーや方向性が自分の中にはない、ということだからだ。

 

 

以上のようにして、成長の必要性を「甘えの自覚」で判断する、

ということを提案してみたが、

 

これは本当にあくまで

自覚自分でそう思っている)

を判断基準にすることだというのを改めて強調しておきたい。

 

というのも、

環境によっては、

「それは甘えだ甘えだ」

と周囲に言われて、ある意味洗脳されてしまっている状況で

「自分は甘いのだ。。」と思い込んでしまっているケースもあると思うが、

そういう状況での甘えの自覚は、全く意味をなさない。

 

なぜなら、

成長というのは、

本人が心からしたいと思わなければ絶対しないからだ。

(自分のまわりにはあまりいないが、嫁や友人の話を聞く限り、

成長しない人は、どんなに褒められようが、どんなに怒られようが、どんなに諭されようが、どんなにアドバイスを受けようが、自分で心から成長しようと思っていないためにそれらを生かせず、結果成長しないようだ。)

 

 

というわけで、けっこう長くなってしまったが、

成長すべきか否か、向き合うべきか否か

という問題に直面したら、

・「甘えの自覚」はあるか

・「甘えの自覚」に気づいたら、「それは本当に自覚か?他人の価値観じゃないか?」

と考える事で、

正しい成長の方向性を見つけ、

自分のパワーを信じて努力すればいいのかもしれない、

 

というお話でした。

 

ありがとうございました。

 

 

 

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<その他の記事(抜粋)>

kamoshirenaidesu.hatenablog.com

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