スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

人の自慢に対する嫌悪感には向き合ってみるといいかもしれない。

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「あいつ、自慢話ばっかでつまんねえんだよな」

「(そんなに自慢しなくてもいいだろ・・・)」

 

など、

この厳しい現代社会は自慢することをあまり良く思わない傾向にあります。

 

僕はFacebookは良く見ているのですが、

ほとんどの投稿は自慢です。

 

「私の会社は、本日〇〇させていただくことを発表させていただきました。」

 

「本日をもって、〇〇〇に就任いたしましたことをご報告いたします。」

 

「先日のパネルディスカッションでファシリテーターを務めさせていただきまして・・・」

 

 

などなど、

(出た、意識高い系・・・)

(また自慢かよ・・・)

と、

まさに一部の人が良く思わないであろう投稿でタイムラインは溢れています。

 

僕も、実は学生のときはそんな風に自慢に対して嫌悪感を抱いている一人でした。

 

でも、

「そもそも、自慢できることを持ってるって普通にすごいかもしれない」

とあるとき、気付きました。

 

 

自慢って確かに、中には良質でないものもありますが、

それでも多くの場合、

自慢できることがある人って、

普通の人ではできないことにリスクを恐れずチャレンジして、

かなり苦労して頑張り続けて自慢できるほどの成果を残しているだけでなく、

その過程の苦労で色々経験して人間的にも厚みが増しています。

 

(そういう人って普通にすごくないか?)

 

(それに嫌悪感を抱いている自分って逆にやばくないか・・・?)

 

と、あるとき気づいてしまいました。

 

 

これに気づいたときは心底辛かったです。

 

自慢できる成果や能力も得ていない上に、人間性も全然備わっていない。。。

 

この事実は辛すぎます。

臭いものに蓋、的な感じで、いっそのこと気付かなかったことにしたくなりました。

 

でも、臭いものは蓋をしても絶対いつかまた臭ってきます。

 

この臭さから脱するにはどうしたら良いのだろうか

と考えると、やっぱり

自分も「自慢できるものを持ってる側」の人間になるしかない

ということに行きつきました。

 

なので、自分にも自慢できるもの(自分しかやってないこと、自分が強みを生かせることetc..)が備わるように、自分なりに頑張ってきました。

 

 

結果、

まだ自分のやってることや考えていることを完全に自慢に思えないこともありますが、

 

良質な「人の自慢」に対して

「すごいな。俺も頑張らねば!」

と心から思えることが増えてきて、

自分の人間性も少しはマシになってきたかなと思うので、

あのとき「自慢できるものを持ってる側」の人間になる、と意思決定したことは良かったなと思っています。

 

 

 

人の自慢に対して嘲笑して終わりにする、毛嫌いをして距離を置く、という人生も楽で良いかもしれないです。

 

でも、

人の自慢に嫌悪感を抱いている自分の本質に向き合ってみるのもありかもしれないです。

 

もしかしたら、人の自慢自体が良質でないかもしれませんが、

そうではなく、嫌悪感の根源が「自分の何かの欠如」かもしれません。

 

それに向き合うのはめちゃくちゃ辛いと思います。

 

でも向き合って自分の言動を変えて壁を抜けると、

世に溢れる自慢話の多くをポジティブなものとして受け入れられる心を得られるかもしれないです。

で、最終的にはそっちの方が人生楽かもしれないです。

 

 

 

ちょっとわちゃわちゃになってしまったかもしれませんが、

今日はそんなお話でした。

 

ありがとうございました。

 

 

 

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