失敗をポジティブに捉えるためには「消極的失敗」の認識と受容が必要かもしれない。
この厳しいビジネス現代社会で生きていると、
「たくさん失敗するくらいチャレンジしよう」
「失敗を恐れちゃいけないよ」
などの言葉を良く目にします。
お、この厳しい現代社会もたまには優しいこと言ってくれるじゃん!
と、一瞬安堵します。
だが、よくよく考えるとなんかしっくり来ませんでした。
なぜなら、僕が良くする失敗とそれらの言葉があんまりマッチしなかったからです。
その言葉があんまり僕にとって救いになり勇気付けられるものではなかったんですね。
具体的に何がアンマッチなのかというと、
この厳しい現代社会で言われるそれらの言葉の大前提として、
「失敗=何かやってみた結果、うまくいかないこと」
という定義付けがなされていることがあげられます。
ここでちょっと思うんですが、
この厳しい現代社会で悩んでる人の多くって、そーゆー失敗ってしてるんですかね?
あんまりしてないんじゃないでしょうか。
むしろ、
・忘れる
・勇気が出なくてやれない
・後回しにしてしまう
・気づかない
など、
「何もやらなかった結果、うまくいかないこと」
という意味合いでの失敗(消極的失敗)を多くしているのではないでしょうか。
なので、
「たくさん失敗するくらいチャレンジしよう」
「失敗を恐れちゃいけないよ」
などの言葉って、
あくまでナチュラルに色々チャレンジできる人の積極的失敗への励ましに過ぎません。
悩んでいる人の多くが抱える「消極的失敗」にはあまり役立たない言葉な気がします。
じゃあ消極的失敗って実際どう考えられているのか?と思うのですが、
消極的失敗は、いまだにこの厳しいビジネス現代社会では御法度のような風潮があると思っていて、
諸先輩方も積極的失敗に関する失敗談は懐かしそうに話しますが、
消極的失敗については恥であるとして封印してしまい話してくれないことが多いと思います。
このような社会全体の風潮があるため、
性格的に積極的失敗より消極的失敗を多くしてしまう人の中には、
「みんながしてない(本当はけっこうしている)消極的失敗をしてしまう自分は優秀じゃないんだ…」
と無意識的に捉えてしまい、
色々諦めてしまい、
失敗を振り返るところに気も向かなくなるし、
チャレンジもしなくなるしで、
やがて本当にこの厳しいビジネス現代社会で生きていけない人間になってしまうような人もそこそこいるのではないか、という気がします。
これはなんか非常に残念です。
僕は、もっと消極的失敗にも寛容というか、オープンな社会になってほしいなと思います。
考えてみれば、
そもそも積極的失敗も消極的失敗も、
失敗の原因が違うだけで失敗であることに変わりません。
失敗からしっかり何かを学ぶことができれば、
それが積極的だったか消極的だったかなんてものはもはや関係なくなります。
消極的失敗もそこから何か学べばちゃんと成長できるんだよ
という雰囲気さえ醸成されれば、
消極型人間も活躍するチャンスが広がるのではないでしょうか。
また、
消極的失敗を良くしてしまう人も、
そこからちゃんと学んで同じ失敗をしないようにする
というのを前向きに考えられるように努めれば、
自分が積極型人間でなくても、じゅうぶんにすごい人になれる可能性があるような気がします。
というわけで、
「失敗」をポジティブに捉えるには、
社会も個人も、「消極的失敗」の認識と受容が必要かもしれない
というお話でした。
僕も消極型人間なので、
これからもたぶん積極的失敗より消極的失敗をたくさんしてしまうんだろうな・・・と思います。
それは想像しただけで辛いです。。
それでも、上記を意識して成長できるように頑張りたいと思います。
ありがとうございました。
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