将来のビジョンが見えないときは、過去を見てみればいいのかもしれない。
「10年後、何をしていたいのか」
「中長期的にどう成長したいのか」
「30歳までに成し遂げたい目標は?」
など、
この厳しいビジネス現代社会は、
将来についてビジョンを持っていることを求めてきます。
僕も公認会計士試験に受かったりしてる身分ではあるので、
目標(しかもできるだけ具体的でかつ達成に一定水準の努力を要する目標)が大切なこと
は経験的に理解しています。
しかし、一方で頭が良くない僕は
「将来どうなるかなんて、よーわからん…」
と、
将来についてビジョンを持つことにお手上げ状態になることもあります。
もっと言ってしまえば、
正直明日のことすらよくわかりません。
明日朝起きたら頭が痛くてモチベーションが下がり、
普段はできる仕事もできないかもしれません。
約束したランチや飲み会にも参加できないかもしれません。
明日すらこんなんなんだから、
なんでも起きうる将来についてできれば断言したくないし、
無責任に「これこれをしたくて、達成します!」と約束もしたくないよなー、
なんて思ってしまいます。
でも一方で、将来ビジョンを語るのは大事と言われているし、実際そうだと思います。
どうしたら予測不能でよくわからない将来のビジョンを描くことができるのでしょうか。
それは、過去(あるいは今)を知るということかなと思います。
なぜなら、
「将来=過去(あるいは今)の積み重ね×予測不能な何か」
であり、
過去を知ることで、予測可能性が少しは高まるからです。
過去は確かに取り返しがつかないので、
以前私も文章に起こしたように、諦めた方が良いです。
しかし、予測不能でよーわからん将来を考えるときにおいては、
過去に思いを馳せるのは極めて重要だと思います。
辛かったことや嬉しかったこと
など、過去についてふかぼることで、
あの辛かったことはもう二度と経験したくないのか?それとも、意外と今の自分の肥やしになっててこれからの何かに役立つのか?
苦労したあれは、今後起きないようにできないのか。
あの嬉しかったことは、再現性のある何かだったのだろうか?もう一度それを経験したいのだろうか。
など、自然と将来やるべきこと、やりたいことについてヒントが思い浮かんできてとても良いです。
というわけで、
将来がよくわからなくて立ちすくんでしまうような、
目標志向性に欠ける僕みたいな人は、
過去に徹底的に思いを馳せることで、
将来をイメージできるようになり、
この厳しい目標志向型社会でなんとか生きていきましょう。
今日はこの辺で。
ありがとうございました。
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