スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

「うわべ」に騙されているかもしれない

「うわべに騙されちゃいけないよ」

この言葉は聞いて、どんなことが思いつくでしょうか。

 


「あの人は、人当たりはすごく柔らかいけど、

実は影で悪口ばっかり言ってる人だから、気を付けてねー」

「あいつは、返事だけだからな。油断しないでドンドン詰めないと、何もやんないよ」

みたいなときに使う言葉かなー

とイメージする人は多いかもしれないです。

 


でも、僕が今日書きたいのは、ちょっと違います。

いや、もはや真逆かもしれないです。

 


うわべというのは、そのときのその人の表に現れている態度、言動です。

 

で、人の態度や言動というのは、

人生の長い経験の中でかなり癖がついてしまっています。

 

なぜなら、本当の気持ちを隠すためです。

本当の気持ちを隠さないと、この社会でやっていけないからです。

 


なので、そんな癖が染みついた表に出ている態度や言動からは、

本当の気持ちは汲み取りづらいです。

 


特に、

寂しい、悲しい、一緒にいたい、辛い

が本当の気持ちのときに、

それを素直に出している人はほとんど居ないと思います。

 


じゃあそのとき、どういう風に態度や言動に出てくるかというと、

・攻撃的になる

・批判的になる

・関心なさそうにする

・ひどく悲観的になる

というような形で現れてきているのではないかと思います。

 


例えば、

本当は親にかまってもらえなくてただ寂しいだけなのに、グレて非行に走ってしまう中学生、

本当は家族で一緒の時間を過ごしたいだけなのに、仕事で多忙な夫に強く当たってしまう奥さん、

本当は社長と創業期のときのように一緒に楽しく仕事がしたいだけなのに、最近コミュニケーションが取れていない社長に高圧的な反抗的な態度を取ってしまう創業時の主力社員

などでしょうか。

 


これがうわべです。

 


うわべだけで判断すると、

怖い!

ひどいな!

生意気だ!

なんか不満があるのかな?

悲劇のヒロインかよ・・・

などと思ってしまいそうですが、

実は、本当の気持ちが見えていないだけなのかもしれません。

 


うわべ、特にあまり良くない印象のうわべを垣間見たときに、

そのまま受け取って嫌な気持ちになるのではなく、

 

「この裏側にどんな本当の気持ちがあるのだろう?」

「寂しいのかな?」

「悲しいのかな?」

と、少しでも、うわべの奥の真実に想いを馳せると、

変に傷ついたり苛ついたりすることが減るかもしれません。


そして、その本当の気持ちについて相手と話してみると、

想いもしないような形で事態が好転するかもしれません。

 

 


というわけで、今回は、

うわべに騙されずに、本当の気持ちについて考えてみるといいかもしれないですね、

というお話でした。

ありがとうございました。