スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

「自分らしく」を勘違いしてしまっているのかもしれない。

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厳しいビジネス現代社会に生きる人々は、


日々ストレスを抱えながらも、


それに耐えて懸命に生きている。

 

逃げ出したいようなこともたくさんあるが、


我慢してやりきろうと努力する。


そしてなにかを成し遂げ満足感を得る。

 

 

この繰り返しをして生きているんだと思う。

 

だが、そーやって生きていると、

たまにこのような人達に出くわす。

 

「いつまで東京で消耗してんの?」


「田舎いいですよ。毎日妻と野菜を作ってます。」


「月に5日しか働いてないのに年収は東京で働いていたときと変わらないよ。がむしゃらに働かなくても生きていけるよ」

 


このように「自分らしく」生きてる人は、


「自分らしく」生きることが素晴らしいものだ!と推奨してくる。

 

で、現代社会に生きる人にとって、


このような言葉は魅力的に感じるが、


同時にちょっと拒否反応を起こすと思う。

 

「そんな風に生きるのは現実的には無理だ」


「そもそも、ビジネス社会で生き残れなかったんでしょ?嫌なことに耐えられなかっただけでしょ?」


こう思う人が多いであろう。


確かに、僕も自分らしく生きてる系の人の話を聞いたり、言葉を読んだりしたときは、そー思ってしまうこともたまにある。

だが、これはもしかしたらこちら側の捉え方が間違っているのかもしれない、と最近思ってきた。


具体的には、
「自分らしく」の定義づけを誤っているのかもしれないということだ。

 

たぶん、現代社会で生きる人々は

「自分らしく」=「耐える必要なく」

と思っているのではないだろうか。


だから、「自分らしく」生きる人に触れると、

普段「耐えている」自分が否定されているような気がして、憧れを抱きつつも嫌悪感を抱くのではないかと考えた。


だが、これは上記でも述べたように、「自分らしく」の定義がちょっと間違っているのかもしれない。

 

本当の意味での「自分らしく」とは、

「自分の良いところも悪いところもしっかり受け入れた状態で」ということではないだろうか。

自分を深くわかりきれてるから、より自分が幸せになれる方向を選択し、自分らしく生きれるのではないだろうか。

と、考えた。

 

そう定義し直すと、

「自分らしく」生きることも楽ではない、ということになる。


なぜなら、自分をしっかり理解するために、自分の悪いところも自分の一部として受け入れないといけないからだ。

一つ一つ自分の悪いところの具体的なエピソード、そうしてしまった自分の根本の弱み、自分の弱みが露呈したその他のエピソード、その弱みが後天的にできたのなら、そのきっかけ、生い立ち……など、
自分の辛い過去に思考を廻らせる。そして、本質的な自分に気づき、納得し、受け入れる。ときに改善する。


このプロセス…

なるほど。なかなか辛そうだ笑

 

だから、

自分らしく生きる人がいて、
その人が自分らしさを言い方悪くすると「押し売り」してきたとしても、


「耐えてる自分を否定してるのか?」
「楽に生きちゃってさ…」
「嫌なことに耐えられなかっただけでしょ?」
と思ったりせず、

「そもそも「自分らしく」あることも辛いんだろうな」と、その人の裏側にあるこれまでの苦労などに想像を廻らせたり、

自分は、この人のように自分について深く考えられてるのかな、と思考を廻らせてみると、


嫌悪感などは消えて、自分にとって良い刺激や気づきをポジティブな形でもらえるのかもしれませんね。

 

今回はこの辺で。


ありがとうございました。

 

 

 

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