スポンジ会計士の「かもしれない」日記

「かもしれない」という考え方で、楽になる。前向きになる。ちょっとだけ世界の見え方が変わる。

罪悪感の突破口は、「祈り」かもしれない

みなさんは、罪悪感にかられることはないですかね。

 


ふとした瞬間に、自分が昔、あるいは、つい最近やってしまった"罪"を思い出して、

心臓がギューとなる、あの感じ。

今は幸せなのに、それを抑制したくなる、あの感じ。

せっかく得た自信を打ち砕きたくなる、あの感じ。

 


誰にでもあるんじゃないですかね。

 


すごい嫌なんですよね。罪悪感にさいなまれているとき。

 


エネルギーがめちゃくちゃ落ちるし、

自分らしく生きようとしている自分を否定したくなる。

 


嫌ですよねー。

 


そんなときにどうしたらいいんだろう・・・

 


と、考えていました。

 


そして、浮かんできたのは、

"祈り"

でした。

 


そっか、祈ればいいかもしれないです。

 


じゃあ、どうやって祈ればいいのだろう。

それについて少し書きたいなと思いました。

 


罪悪感を抱いているときって、

ほぼ100%、"ある人"、あるいは、"ある人達"の顔が浮かんでいると思うんですよね。

その人達を、まずはリアルにイメージする。

 


リアルにイメージするというのは、

例えば、

電車に乗ってて、

「同じ車両の、あそこらへんにいるなー」

と、姿形をありありとイメージする感じですかね。

 


で、

そこに立っている、その人(達)は、

その人(達)そのものではあるんだけど、

なんか少し違うというか、

ちょっと優しい感じ、悟った感じの雰囲気を持っている。

 


そんなイメージをします。

 


そして、そんな優しく悟ったような雰囲気のその人(達)に、

自分が犯した(と思い込んでいる)罪について、

誠心誠意謝ってみる。

 


すると、たぶん、

「うん、大丈夫だよー。気にしなくていいよー。その気持ちだけで十分だよー。ありがとー。」

的な事を言ってくれるはずです。

いかんせん、優しくて、悟ってるわけですから(笑)

赦してくれます。

 


その赦しに感謝しながら、

あとは、その人(達)の幸せを心から祈ってみる。

 


その人(達)が、仕事かプライベートかはわかりませんが、

とにかく楽しく充実して幸せそうにしている場面を、

一緒に体験してるんじゃないかという感じで、イメージしてみる。

 


そして、最後に、

「現実レベルであなた(達)に何かできることはある?」

と、彼らに聞いてみる。

 


ここで、

「うん、直接会ってあやまってくれたらすごく嬉しいな」

「とりあえず、久しぶりに連絡とってくれたらいいかも」

「いやー、現実の俺は、今更!ってたぶん怒っちゃうから何もしなくていいよー」

などと、言われると思うので、

その通りに行動する(行動しない)。

 


こんな感じのことをしてみるといいんじゃないですかね。

祈り、とか、相手のことを想う、とか。

それ自体が、罪悪感を超えた愛なのかもなー、なんて思いました。

 


というわけで今日は、

罪悪感は祈りに変えてみるといいかもしれないですね、

というお話でした。

 


ありがとうございました。

感情に気づくためには、「からだ」を意識するといいかもしれない

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最近、

「人間には癖があるよー」

「その癖でみんな苦しんでるよー」

なんて書いていたのですが、

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(じゃあどうしたら癖がなくせるんだろう・・・)

 

(どうしたら癖が出てるってその都度その都度気づけるんだろう・・・)

 

と考えてしまいます。

 

で、

ここ1年近く色々勉強する中で、

「癖に気づくためには、自分の感情(特に嫌な感情)を観る」

ということが重要であるとわかってきました。

 

なぜなら、ヒトは感情があって初めて行動するからです。

 

癖というのは、

長年、その「感情→行動」の回路が繰り返されることで、

その回路が無意識で発動するようになった、と考えられるんだと思います。

 

 

だから、感情を観ればいい、ということになると思うのですが、

 

うーん。

 

実際、

そのときそのときの感情を観る、

自分の感情に気づく、

というのは、まあまあ難しいです。

 

 

24時間のうち、ほとんどの時間は無意識で流れていくし、

その都度その都度の感情も、当然無意識でわいて無意識で消えてゆく。

 

僕らはそうして生きてきたわけです。

 

 

(そのあたりを見逃さずに丁寧に生きていきたいけど、現実無意識で生きちゃってるもんなー)

 

(どうしたら少しでも多くの感情をしっかり感じられるんだろう・・・)

 

(自分の感情を観るコツはないかな・・・)

 

と、僕は悩みふけっていました。

 

 

で、先日の事なんですが、

たまたま、ちょっと緊張する仕事がありました。

 

そのとき、心臓がキューとしていることがわかりました。

(ちなみに、僕はよく心臓がキューとします。)

 

で、これだ!と思いました。

 

"感情はからだのどこかにある"

というのをどこかで目にした事があった気がするのですが、

まさにそれだなーと。

 

 

 

例えば、

・誰かの悪口を聞いたとき、心臓に矢のささるようなヒュン!という感覚がわく

・(やべえ・・・やらかした!!!)と思ったときに、顔がボワボワと嫌な感じで熱くなる

・やる気がわかないときに、両腕が重い感じがする

 

など。

 

思い返してみると、

確かに、嫌な感情が湧いたときに、

からだにこのような嫌な感覚(違和感)があったような気がします。

 

しかも、

面白いことに、

Aという感情がわいたときには、顔に違和感が出てくる

Bという感情のときは、心臓に・・・

Cという感情のときは、胃に・・・

といった感じで、

ある特定の感情が湧いたときには、ある特定のからだの部位が反応しているような気もしてきました。

感情には、からだの中に住所があるのかもしれません。

 

今読んでくれている方も、

嫌な感情が動いたときの事をよくよく思い出してみてほしいのですが、

なんかそんな気がしませんかね。

 

 

とにもかくにも、

感情を観よう!

というのは、

その一瞬一瞬のからだの違和感に気づこう!

ともいえるのかもしれないなーと思いました。

 

なんかそうすると、僕的には結構しっくりきます。

 

 

何かざわつく事象があったときに、

 

心臓がキューとするな・・・

うー、なんか顔がザワザワ熱いな・・・

 

という、からだの違和感から、

 

(あ・・・緊張してんのか。)

(あー、焦りがあるなー。)

 

という感情へ結びつける。

 

こうすることで、

感情を無意識下から意識下へ持ってくることができるのではないでしょうか。

そうしたら、自動反応的にやっていることにもその場その場で気づけるようになるかもしれないです。

うまくいけば、そこから自動反応的に発動している癖を制御できるかもしれないです。

 

 

また、何か悶々と悩んでいてわけのわからないときに、

(からだのどこかに違和感はないだろうか)

(心臓っぽいなー)

そしたら今までここには〇〇という感情がいた(ここは、〇〇の住所だった)から~、

今回も〇〇か?

と、自分の内面を深く観るヒントになる、

なんてこともあるかもしれません。

(※書いてて、これはかなり上級者っぽいなーと思いましたが笑)

 

 

というわけで、

今回は、

嫌な感情が湧くときって、からだに違和感があるかもしれないですね

からだの違和感に意識を向ければ、そのときそのときの感情に気づけるかもしれないですねー、

そしたら、言動の癖にも気づいたり、言動自体をコントロールできるようになるかもしれないですねー

というお話でした。

 

ありがとうございました。

ヒトは「癖と癖を戦わせて」生きているのかもしれない

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今日は、

ある知り合い会計士のAさんと、Aさんの知り合いの経営者であるBさんとの関係性の変遷について、Aさんから聞いたことを書きたいと思います。

 

 

数か月前から、

ある縁をきっかけに、

2週間に1回のペースで、

会計士Aさんと経営者Bさんは、

最近あった出来事を共有し合う、

という定例会をやるようになったそうです。

 

 

もともと2人は年齢も仕事もバラバラで、

住んでいる地域も、東京と東海でちょっと遠いようで、

普通だったら交わらないし、

最初は本当に落ち着かない関係性だったようです。

 

 

ですが、

この定例会の中で、

ときに、苦しんでいる事、チャレンジしようとしている事、など、

なかなか普段他人に話せないようなことも分かち合いをしていくようになったそうです。

 

そして、

いつの間にか彼らの関係性というのは、

「俺らってお互いのためを思って何でも話せる親友だ!」

「これからもお互い相談に乗ろう!」

と言い合えるような、気持ち良いものになっていったようです。

 

 

ところが、

ある日、

Aさんがいつも通り、私に定例会の話をしてくれているとき、

Aさん自身が、Bさんとの関係性が実はとても薄っぺらいものだったということに気づきました。

 

というのも、

Bさんに対して、実はAさんが切り込んでいけていない、というのが明らかになったからでした。

 

 

具体的には、

AさんがBさんに対して、

(それはBさんがおかしくなってるんじゃないか?)

と思って、ちょっと核心を突くような、突っ込んだ質問をしたときに、

Bさんが

「そんなことないよ?だって、おれはこうでこうだったじゃん?それだけだよ。むしろAさんこそどうした?」とロジカルさと若干のすごみを持って切り返してくる。

 

そんな切り返しに、

Aさんは少し萎縮して、

「まあそっかー、勘違いかー」

と、その場でいい感じにしてしまう・・・

 

というようなことがあったようです。

 

 

で、これって全然"何でも話せる"関係になれてないよなーと、

Aさんは感じたようです。

 

僕はこの話を聞いて、

あー、人間って、

"仲が良い""何でも話せる"と思っている人ですら、

無意識的に反応してコミュニケーション取ってるかもしれないなー

と思いました。

 

どういうことかというと、

 

Bさんは、Aさんの突っ込みが、

自分が話していることに違和感を抱いている、自分を否定的に思っている、という風に捉えて、

とっさに、論理的に少しドライな感じで切り返してしまった。

 

AさんはAさんで、

自分の突っ込みが正しくないと否定された、拒絶された、という風に思って、

とっさに、それ以上その話題に自分が立ち入るのをやめてしまった。

 

二人とも、

きっと、

自分に嫌な感情がわきそうになったときに、

論破したり、傍観してスーと引いたりして、それをごまかす、

というのが癖になっているのでしょう。

 

今回も、

否定されてるんじゃないか?という不安から、

自動反応的に、それぞれの癖を発揮してコミュニケーションを取ってしまっていた、

ということになると思います。

 

そして、結果的に二人とも気持ちよくない感じで終わってしまったんだと思います。

 

 

その後、

AさんとBさんは、

お互い、そのように癖を発揮して、変なコミュニケーションを取ってしまっていたことを話して、

「俺らまだまだだなー!笑」

という感じで、より気持ちの良い関係を作ることができたそうで良かったですが、

 

「俺らなんでも話せるぜ!」

「最高の友達だ!」

と言ってる仲ですら、お互い癖が出てしまう。

結果、お互い気持ちよくなくなってしまう。

という事態に陥るんだなーと痛感しました。

 

きっとみんなそうなんだろうなーと。

 

本当の意味で、気持ちよく生きるためには、

他人との癖と癖の戦いから降りる必要があるのかもしれません。

そして、そのためには、

丁寧に自分の言動を観て、癖が出てる!と気づいていかないといけないのかもしれないですね。

 

 

というわけで、

今回は、

ヒトは、「癖と癖を戦わせて」生きているのかもしれないですね、

気の知れた人とも、実は癖ばっかりでコミュニケーションを取っているのかもしれないですね、

それにしっかり気づいて、癖と癖の戦いから降りて、気持ちよく生きていきたいですねー、

というお話でした。

ありがとうございました。

不機嫌な人は、「自分の中にも」いるかもしれない

 

先日、

とある上場準備中のベンチャーで管理部長をしているAさんと、食事をする機会がありました。

そこで、女性の経理アシスタントさんに対する悩みを聞きました。

どんな感じかというと、

・会社の規模が小さい頃から、仕訳記帳や書類管理をしてくれている人で、管理部門のアルバイトさんの中では一番社歴が長い

・IPO準備段階に入り、業務が多忙となり、みんな残業をしているのを知っているにも関わらず、「自分は絶対に残業はしたくないから、余計な仕事は振ってこないでw」と言って、冗談っぽく言いながらすぐ帰ってしまう

・これはまずいと思ったAさんが、「1時間でも30分でもいいから、手伝って貰うことはできないだろうか?」と真剣にお願いすると、ムッとした態度に。その日を境に不機嫌な態度をあらわにするようになる。

・しびれを切らしたAさんは、「そのような態度は、チームの士気を乱すから止めてほしい」と指摘すると、激怒。じゃあ言わせてもらうけど、と言わんばかりに、「あの人はいつもあれをしない」「みんな気づいてないと思うけど、私はこれをやっている」と他者批判・自己正当化に終始する

・そんな不機嫌な腫物状態で、仕事が回りづらい空気をかもしだしながら、毎月毎月、経理のアシスタントにしては相当良いお給料を受け取っている

・風のうわさで、同僚の若手会計士の給料が自分より高いことを知ってしまい、またも激怒。余計に不機嫌になる⇐いまここ

※実際の内容とは良い感じで変えております。

 


うん。

なかなかしびれますね。

 


僕は、以前ベンチャー企業の経理チームリーダーをやっていて、

たまたま良いメンバーに恵まれていたので、ここまでの事は起きなかったですが、

きっと似たような問題が起きる可能性はあったなーと思って、

とても自分事に感じました。

 


「こんな奴、厳しく当たって辞めさせればいいだろ!!」

という声も聞こえてきますが、

ちょっと一呼吸おいて、こういう人に想いを馳せてみたいと思います。

 


まず、思いついたのは、

「あ、こういう人が感じてる感情、俺の中にも確かにあるわ」

ということです。

 


言動に移すかは別にして、

「俺はこんだけやってんのに、あいつはやってない!」

「あいつは、ああいう甘い考えだけど、俺はもう1つの上の目線でちゃんと考えられている!」

みたいな、他者批判・自己正当化の感情、

自分ができていて、他人ができていないことに焦点を当てる感覚

は、普通にわいていることに気づきました。

"不機嫌になる種みたいなものを持っている"

ということは、

意外と一緒なのかもしれません。

 


次に、

じゃあ、なんでこういう人はその感情をそのまま言動に表してしまうんだろう。

なんで不機嫌になってしまうんだろう。

なんでひねくれてしまうんだろう。

それを考えました。

 


すると、"心の傷"というワードが浮かんできました。

そうか・・・

そういう不機嫌の種になる感情がわいてきたときに、

自動反応的に他人を攻撃したり、自分を正当化したりするスイッチがあるんだ・・・

じゃあ、なぜそういうスイッチがあるんだろう・・・

そうか・・・

何かものすごく傷ついた出来事があるからなんだろうな・・・

また傷つかないように、自分を守るために、先に他者を攻撃する

それを癖でやっているんだな・・・

根本は傷つきたくないだけなんだ・・・

ただ悲しかっただけなんだな・・・

あ・・・

その悲しいって気持ち、俺の中にもあるわ・・・

 


ということに気づきました。

 


その瞬間、ただただ辞めさせればいい、という発想から、

なんともいえない感情がわいてきました。

そして、その人の幸せを祈りたくなりました。

 

 

 

現実問題として、こういう人をどうにかしないといけないわけですが、


そんな難問に向き合うときに、

「あー、この人って、俺と一緒だな・・・」

と、1秒でもその人に自分の一部分を見出せば、

もしかしたら、お互いにとって良い方向へ導いてくれるきっかけになるかもしれないですね。

 


というわけで、

今回は、

不機嫌な人は、自分の中にも見出せるかもしれないですね、

そうすることで、自分にも不機嫌な人にも何か良い事が訪れるかもしれないですね、

というお話でした。

ありがとうございました。

 

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「もういいんだよ」と思えばいいかもしれない

 

みなさんは、赦せないことってありますかね?

 


僕はあんまりないなーなんて、こないだまで思っていたんです。

 


基本、人に怒らないし、イライラしないし。

 


そんな中、

最近、色々心や感情に深く触れる中で、

"赦す"というのをテーマにしたことがありました。

 


そのときに行ったのが、

"自分を赦す"ということでした。

 


そこで明確に気づいたのは、

自分を超絶否定して、全く自分を赦していない自分がいることでした。

 


具体的にいうと、

・中高でやっていた野球で、守備が下手すぎてチームに迷惑をかけまくっていた自分(要は、組織に貢献できなかった、存在価値のなかった自分)

・大学時代に、周りの人間に愛のない事をして、疎遠になった自分(要は、人を傷つけ、その関係を修復することなく逃げた自分)

・社会人人生の中で、やり切らなかった仕事があった自分(要は、何かから逃げて人に迷惑をかけた自分)

を責めて、忌み嫌い、否定している自分がいた、ということですね。

 


そういう出来事があって、

本当は自分が一番反省して、そして傷ついているのに、

その自分をさらに自ら責め続けてきた・・・

そして、自分は余計に傷ついていた・・・

それに気づいたんですね。

 


なので、僕はそんなダメダメな自分を赦しました。

もういいんだよ、と。

責められる(自分を責める)必要はもうないんだよ、と。

 


ボロボロ泣けました。

傷ついてることにやっとわかってもらえた、という感じでしょうか。

嗚咽して泣きました。

 


そこで赦された感覚というのは、とても心地よく、

次なる一歩が踏み出せそうな感じがしました。

 


でも、その感覚も一瞬。

 


日常に戻ると、すぐ自分を赦さない自分が出てきます。

自分を赦さない、というのが完全に癖になっているんですねー。

 


この癖に戻ってしまって、

うわーこれは自分を赦すというのは、かなりチャレンジグな課題だー

そんな風に感じている昨今です。

 


というわけで、

今回は、

「もういいんだよ」と自分を赦しましょう、

そして、自分を責める癖が出てきたら、その都度、また

「もういいんだよ」

と赦し続けていきたいですねー

というお話でした。

ありがとうございました。

 

「想う」ことで気が利くようになるかもしれない

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「あなたは、"気が利く"人ですか?」

 


この問いに、

ドキッとしたり、

「俺は・・・私は・・・」と、なぜか罪悪感がわいてきたり。

 


そんな人はいないでしょうか。

 


はい。

僕も、その一人です。

 


たぶん僕はそんなに気が利くタイプではないですね。

 


・ボーっとしてしまう。

・1つのワードをきっかけに、自分の脳内で論理性のない、つながりのない、謎の思考があれよあれよと展開され、意識がぶっ飛んでいき、気づいたらその場に自分の意識がない。

・相手の気持ちがその場ではあまり汲み取れず、あとで一人になったときに「あばばばばばばば」と色々気づいてしまう。

・その場では、色々気になること、気にしなきゃいけない事が多くて、混乱して、「あばばばばば」となり、結果うまく動けない

 


僕はまあ大体こんな感じです。

 


こんな人って、

日頃は隠れているけど、

意外と多いんじゃないですかね。

 


これって結構辛いです。

 


特に、仕事というのは、

他人のために行うものであり、

"気が利かない"

すなわち、相手意識に立てない、

というのは、まあまあ致命的だったりします。

 


そんなで、僕も苦労してきました。

 


そういう人が、どうしたら"気が利く"ようになるんだろう・・・

と、思い悩んでもきました。

 


で、1つこれはいいかもなーと思うことに最近気づきました。

 


それは、

"時間を取って、ある特定の人を想う"

です。

 


一人静かな場所で、

ある特定の人に意識をフォーカスして、

ただただその人を想ってみるのはどうでしょうか。

 


・その人が心から望んでいそうなこと

・その人が本当はありたい姿

・その人の表面上の態度の影にある背景

・その人が癒されるであろう、かけてほしいであろう一言

などなど。

 


その特定の人を訪問する前とか、

その特定の人と面談する前とか、

に、やってみるといいかもしれないです。

 


僕は、自分に余裕のあるときは、

人と会う前はこれを実践しています。

 


これのいいところは、

自分の中に"ベストを尽くした感"が醸成されることです。

 


この感覚が、自分に多少のリラックスをもたらしてくれるので、

実際の対面の場で、変な動揺が減り、気が利かなくなる要因を低減できている気がします。

 


あとは、この"想う"を継続することで、

意識を意識的に向けられるようにもなると思います。

 


そうすると、意識が変な方向に飛んで行ったりする場面も減って、気が利かないという事態も減らせると思うんですよね。

 


というわけで、今回は、

気が利かない人は、誰かを「想う」時間を創るといいかもしれないですね、

そうすると、ベストを尽くした感で安心できるし、やがて自分の意識をコントロールできるようになるかもしれないですね、

そしたら、いつか気が利く人になってるかもしれないですね、

というお話でした。

ありがとうございました。